こんばんわ(*^-^*)ギラファです。
皆様三が日いかがお過ごしでしょうか。
私ギラファは寝正月ですので,明日からしっかりしないと!と思う今日この頃です(笑)
さて,本日はギラファが初めて観たゴジラ作品。
「ゴジラVSビオランテ」について語っていきます。
それでは皆様,お付き合いをよろしくお願いいたしますm(__)m
ゴジラVSビオランテの見どころ
前回のゴジラ記事でご紹介した,’84年ゴジラの続編にあたります。
ギラファが感じた,「ゴジラVSビオランテ」の見どころはこちらです。
- 冒頭からの激しい銃撃戦(アクションシーン)
- 物語の背景にある,外国間や企業のパワーゲーム
- ゴジラと人類との闘い
- ゴジラとビオランテとの戦闘
見どころの多さからも分かるように,「ゴジラVSビオランテ」は…
様々なテーマがひとつの作品に込められているのが特徴です。
その中でも,ビオランテの誕生の経緯が全て人工のものであることから,発展する科学の使い方への戒めが込められていると感じます。
物語の発端となるパワーゲーム
冒頭からのアクションシーンは圧巻ですね!
観ている人を映画世界に集中させようとする工夫だと思います。
勿論,意味もなくアクションシーンが入っているわけではありません。
これには,物語の背景に外国間・企業間のパワーゲームがあることが関係しています。
【パワーゲーム】とは…
国と国や企業と企業などを含めた関係のなかで,自分が有利になるよう動くこと
このパワーゲームにより,悲しい事件が起こります。
バイオメジャー(多国籍化学メーカー)がゴジラ細胞をめぐる中でテロを起こし,とある博士の娘が犠牲となってしまうのです…
事件後の博士…大切な人が居ない日常
博士は,外国で植物の研究をしていました。
テロで娘を亡くした後,日本に帰国し,ひっそりと研究所で暮らしていました。
劇中博士はあまり感情的になることなく,淡々と解説役に回ることが多くありました。
ギラファの個人的な解釈となりますが…
淡々としているのは,博士の性格もあると思いますが……
「大切な娘がいない世界に,嬉しいことなんてない」
その想いを博士は抱えていたのではないでしょうか?
嬉しいことがなければ人の心は弾むはずがなく,ただ日常が存在するだけです。
ただ日常が存在するだけならば,全ては淡々とすぎるだけ……
「ビオランテ」誕生の経緯
博士はビオランテ(植物)を造りました。
娘の細胞を,娘が育てていた薔薇に組み込んで保存していました。
が,地震によってその薔薇が枯れる寸前になります。
その薔薇にゴジラ細胞を組み込むことで「枯れない薔薇」を造ろうとしました。
しかし…
ゴジラ細胞が強すぎ,ビオランテという植物怪獣が誕生してしまいました。
テロで犠牲になった娘に,何とか自分のそばにいてもらいたい。
その一心で,行動をしたのだと思います。
私ギラファも娘がいます。
博士の手段は肯定できませんが,気持ちとしてはひとりの親として理解はできます。
自分の娘と少しでも一緒に居たい。
この気持ちを愛と呼ぶのか,ただの欲と呼ぶのか?
それによって,博士への評価は変わってくると思います。
本当の怪獣は人間
ゴジラとビオランテの戦いが終わった後に,偉い人との会話の中で博士は言います……
「ゴジラでもビオランテでもない,本当の怪獣はそれを作った人間です」
出典:「ゴジラVSビオランテ」@1989 東宝
このセリフは「科学の発展が間違った方向に使われることへの警告」,そして自身の人間としての弱さからビオランテを造ってしまった「自分への戒め」として発せられたのだとギラファは考えます。
人によっては,博士に対して「お前がその台詞を言うなよ」と仰るでしょう。
もしくは,「お前が言ったらギャクじゃねえか‼‼」といった厳しいお言葉でしょうか?
仰る通りです。
動機はどうあれ,劇中で博士が行ってしまった行動はとんでもないことです。
その結果からは,どれほど厳しい言葉を浴びせられても返す言葉はないと思います。
だからこそ…
弱さから過ちを犯してまった人間から発せられたからこそ,その言葉は重いのだと思っています。
映画をエンターテインメントとして楽しもう
教訓めいた話や,博士への考察が多くなってしまいましたね。
純粋にゴジラ対人類やゴジラとビオランテとの戦闘は面白いですよ。
今から30年近く昔の映画のため,当時の流行りであった超能力のネタがあったりと,時代の息吹を感じることができます。
古い映画であり,他にも恋愛が絡んでいたりするため,今の若い方には受け入れにくい部分があるのかもしれませんが(笑)
ギラファ個人としては,初めて観たゴジラ映画のため思い入れが強くある作品です♪♪
興味を持たれた方は,是非ご鑑賞くださいm(__)m
それでは皆様,共に特撮をたのしんでいきましょう(^◇^)